演出は神である!

劇団十夢の演出です。
芝居を作る上での苦労話や映画・演劇を観た感想などを独断と偏見にまみれて書いていこうと思います。
(映画は★10点満点で採点してます)
どなた様もお気軽にコメントください。

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2010.01.11 Monday

私の頭の中の消しゴム

神の採点:★★★

この映画の原作は2001年に日本で放送された「Pure Soul 〜君が僕を忘れても〜」なのらしい。
映画の中でもテロップでそのように紹介されている。
これは正式なリメイクだったのかは分からないが、少なくとも本作の中で使用されている主題曲は正式なカヴァーではなかった為、後々になって謝罪があったらしい。
しかも、この原曲は「Pure Soul」で使用されていた曲ではなく、他のドラマで使用されていた曲である。
(曲の詳細についてはWikiなどで検索して調べてください。)

リメイクした作品に、他の作品の曲をカヴァーして主題歌として使う。

 


無しだろ。。。 ( ̄△ ̄;)

 


いや、リメイクやカヴァーを否定するつもりはありません。
気に入った脚本を自分なりに監督してみたい、演じてみたい、大いに結構です。
気に入った曲を自分なりに歌ってみたい、大いに結構です。
でも、その二つを一緒にしたら流石にイカンと思うんですよね。
寄せ鍋じゃないんだから、もっとオリジナリティを大切にしましょうよ。
それだけのスタッフや役者が揃っているはずですから。

作品自体の感想より、背景的な部分で否定的な気持ちになってしまいました。
「生みの苦しみ」っていうのは本当にシンドイんですけどね。
でも、その先に「生んだ者」にしか味わえない喜びがあるのですから、苦しむ価値は充分にあると思っています。

 

さて、
では本編はどうだったのか?

まぁ、


感想は


「う〜ん」です。

 

いまいち入り込めないというか、伝わらないというか・・・。
作品内で表現していることが表層的なので、訴えかけるものが無いなのです。
扱っているテーマは“若年性アルツハイマー”という重いテーマなのですが「綺麗ごと」だけで終わってしまっています。
介護の苦労や苦しみって、そんなもんじゃないでしょ?
愛する相手に苦労をかけてしまう苦しみって、そんなもんじゃないでしょ?
と思うのです。

いえ、最初は確かにそんなものかもしれません。
綺麗ごとなのかもしれません。
アルツハイマーがそんなに進行していない段階なら、自己犠牲を愛で伝えることが出来ます。
そして、その愛を素直に受け止めることが出来るかもしれません。
だってそこまでの「介護」を必要としていないから。

この段階なら恋人や妻が”ちょっと体調が悪くなって風邪をひいたレベル”です。
だから介護は必要ありません。
でも、もしそのレベルになったら・・・。
介護には「覚悟」と「決心」と「根気」が必要なのです。

介護に必要なのは「愛」ではありません。

 

「覚悟」と「決心」と「根気」です。

 

この3つが介護を続ける為に必要不可欠なものです。
人間に対する大きな愛は必要かもしれませんが、少なくとも「恋愛」なんぞで介護を続けるには動機不十分と言わざるを得ません。
介護資格を持ち、介護に従事している人が、

「身内の介護はやれない」

という話は良く耳にします。
その言葉の意味は勿論、人ぞれぞれの理由だと思いますが、

 


介護を、

 

し続ける、

 

には、綺麗ごとだけでは済まされない、それこそ多くの身を切るような「選択」をしなければならないのです。
しかし、この映画の中ではそれほど身を切るような選択をしているようには見えませんでした。
唯一あったとすれば、妻であるスジンがこれ以上旦那を傷つけたくないからと、家を出て行くシーンでしょうか。
(正確には置手紙があるだけだが)

それ以外では旦那のチョルスはこの病気のことをよく勉強せずに「面倒を見る!」の一点張りだし、

スジンの親はまだそこまで悪くなってないスジンを「施設に入れる!」の一点張りだし、

 


協力し合えないの、おたくら? ( ̄ω ̄;)

 


スジンが納得いくように、今後どう生活していくか皆で考えればいいじゃない。
全員が全員、スジンのことを心配しているようで、実は自分勝手な方法を押し付けているだけのような気がして、更にそれが全部「綺麗ごと」なものだから少々引いてしまいました(笑)


物語の出だしは良かったのになぁ・・・。

流れは少々使い古した少女マンガの王道のようですが、使い古したとはいえ王道には王道の良さがあり、出会いから2人が結ばれるまでが丁寧に描かれていたと思います。
ただ、丁寧に描きすぎていて、全体の半分も使ってしまいました。
だもんで、それからの展開が速いこと速いこと。

こういう作品は、自分の生活に違和感を感じ始め、徐々に自分が壊れていくことが分かり、悩み・苦しむから説得力があるものです。
前半部分からスジンは物忘れが激しいので、これが病気の序章なのか、天然なのか分からないんですよね。
このキャラ設定おかしいでしょ。
普段はしっかり者でいいじゃん。。。

 

ラストのコンビニのシーンも分からん。


あんなことやられたら、

 

もっと記憶混乱しない? (@O@)

 

何がしたかったのだろう・・・。
この辺のトコロはドラマよりも時間的制限のある映画の方が不利ですね。
でも折角結婚までを丁寧に作ってるんだから後30分でもいいから延長して病気の進行を描いていればもっと評価も違ったかなぁと思います。

ま、どんなに丁寧に作っても納得出来ない箇所もあるけど。
それは2点。

まず1個目。
チョルスの性格。
基本的に粗野だけど心は優しいという性格は出ていたように思えますが、スジンがひったくりに遭い、それを助けるシーン。

 


お前は何者なんだ!? Σ( ̄ロ ̄lll)

 

というくらいの無駄の無い動き。
大事故を起こしながらも薄ら笑いって・・・。

また、スジンの元彼を殴るシーン。

 

やりすぎ。

 

どう考えてもやりすぎ。
殴られた後の元彼のセリフも意味分からん。
何故に挑発的なことを言うの?
このシーンは本当に冷めた。


そして最大に冷めたシーンは、スジンが診察を受けるシーン。
冷めたというよりも、腹が立った。


アルツハイマーの研究一筋で、自分の妻もこの病気で亡くしている病院の先生。
タバコを吸って診察です。

 


ふざけるな!!! ( ̄△ ̄#)



発症済みだから良いとでも言うのか!!??
そういう問題ではない。
アルツハイマーのことを説明しながらタバコを吸うとは・・・。
考えられません。

一応書いておきますが、タバコは吸っている人は勿論、その煙を吸ってしまう人も有毒物質の影響を受け、アルツハイマーの発症率が高まります。
アルツハイマーの研究一筋の医者なら知っていて当たり前です。


こういうトコロで作品に対する真剣度が分かるんですよね。
この作品、痛いトコロも多いけど、決して悪くない作品だと思います。
でも、
このタバコのシーンだけは絶対に許せない。

作品作りを舐めるな、と言いたい。



私の頭の中の消しゴム
時間:117分
出演:チョン・ウソン、イ・ジェハン
監督:イ・ジェハン


2009.11.09 Monday

イエスマン

神の採点:★★★

思ったよりは面白かった映画です。


思ったよりは。


この手の映画は外す事が多いだけにあまり期待はしていませんでした。
「まぁ、星2つぐらいかな?」と思っていましたが、星3つ分の面白さはありました。
ファンタジーではなく、リアルな現実にほんのちょっと「非日常」を持ち込む。
そのギャップに笑いが生まれ、物事の本質を見つけだし、ハッピーエンドとなる。
(この手の映画で許されるのはハッピーエンドだけです。非日常を持ち込むことによって日常を抉るんです。「大切なもの・こと」を思い出すんです。なのにアンハッピーエンドを持ってくるのは愚の骨頂です。じゃあ「初めからドキュメントやれよ。」です。)

オイラがこの作品のテーマを文章にするとすると

「幸せは”世界を広げる”ことによって掴める」

です。

NO(否定)は世界を狭めます。
自分の存在する場所だけでなく、他者との人間関係も造ることが出来ません。

幸せは「自分以外の者・物・モノ」によってでしか実感できないのです。。

「者」であれば・・・両親、親戚、友人、恋人、子供などですかね。
「物」であれば・・・お金、家、車、本など。
「モノ」であれば・・・仕事、音楽、旅行などです。

自分ひとりで実現できる幸せなんて有り得ないんです。
自分以外の何かを媒介にしないと「幸せ」を実感することは出来ません。
で、多くの「者・物・モノ」を手に入れようと思ったら世界を広げるしかありません。
世界を広げる為に発する言葉は「NO」ではいけないのです。
だから「YES」といい続ければ極論、「幸せになれる」は間違いではないと思います。
(勿論、リアルな現実でYESといい続けたらトンデモないことになりますけどね。その辺の弊害は作中にも多少出てきてますが。)

そんなことよりもオイラが気になったのは主人公カールが「イエスマン」になるキッカケとなった自己啓発セミナーですね。


 
怖い。 ( ̄Д ̄;)


 
この作品は2008年に公開された映画だが、アメリカはまだ自己啓発セミナーなんてあるのか?
確か日本でも自己啓発は流行ったけど、10年以上前の話だったような・・・。


っていうか、

 
このセミナー、


 
インチキ宗教だろ?


 
元々がその線引きに明確なラインが無いので難しいトコロだが(こんなこと書いたら宗教からもセミナーからも文句が来そうだな。)、この「イエス推奨セミナー」は絶対インチキ宗教だ。
カールが少しでも否定的なこと「ノー」の「ノ」だけでも言おうものなら1,000人近い参加者から


 
「ノーメン!ノーメン!」


 
こ、こわ〜・・・。

この時点でオイラどん引きですよ。
そりゃ自己啓発ですから時には答えを強制させる必要はあると思いますが、言葉が言葉だけに危険です。
通常の自己啓発ならポジティブになる為の言葉を強制させます。
「出来る」「やれる」「大丈夫」
でも、「YES(はい)」はとても危険です。滅茶苦茶危険です。
それを見学に来た人間に強制させる。
怖すぎます。
いくら「日常に非日常を入れる映画」だと言っても、


 
入れ方があるだろ! (`m´#)


 
と思うのです。
まぁ、ファンタジーではないので神様や妖精や小悪魔が出てきて「NOと言えなくなる」なんてシチュエーションには出来なかったのでしょうが。

「ノーメン!ノーメン!」


・・・・・・。


夢に出そうです。
 
オイラは昔、仕事の取引先に頼まれてどうしても断りきれず、MLMの会合に参加したことがあります。
(MLM・・・別名、ネットワークビジネス。まぁマルチ商法です、って書いたらMLMの参加者は怒るんあろうなぁ・・・。今回のレビュー、いろんなトコロに喧嘩売ってる気がする。)
○○会館という大きな会場で、会合の参会者は800人ぐらい居たでしょうか。
まだ会合が始まっていなかったので、ロビーには人が多く、ほとんどの人が妙なテンションで、少し頬を紅潮させていました。

「ヤバイ所に来た・・・。」

MLMに参加するつもりは無く、それは来る前から取引先の人にも話してありました。
やはり時間の無駄だと感じたので、お暇する旨を伝えようとした時、会場のドアが開きました。
MLMの本部の人間らしき人が仰々しく手招きします。

「お待たせしました!本日は会長も参加します。有意義な時間にしましょう!!」

 

本部の人間も妙なテンションです。 (-.-”)

 

オイラは取引先の人に腕を掴まれて会場内へ入りました。
・・・そこからのことは正直あまり覚えていません。
単純に月日が流れたから記憶が薄れたのか、


 
即効デリートさせたから


 
なのかは分かりませんが、覚えていません。
ただ、むやみやたらに拍手をさせられたことは覚えています。

挨拶しては拍手。
新しい参加者の名前を呼んでは拍手。
先月の成績を発表しては拍手。
決意を表明しては拍手。

拍手!拍手!拍手!

オイラはそのMLMの会合の他に某宗教の会合にも参加したことがあるのですが、何で宗教にしろMLMにしろあんなに拍手を多用するんですかね。
まぁ普段人から褒められたり認められない人からしたら、その拍手は快感になってしまうのかもしれませんね。
(あ、ちなみにオイラは無宗教ですが、宗教を否定するつもりは無いですよ。押し付けられなければね。勿論インチキ宗教は論外です。)

会合が終わって、取引先の人が話しかけてきました。

取引先「どうでした?」
オイラ「んー・・・。凄かったとしか言いようが無いですね。」
取引先「ちょっと感動しますよね。」
オイラ「あ、それは無いです。」
取引先「そうですか?まぁ、人それぞれですから。」
オイラ「そうですね。」
取引先「で、どうします?一緒にやりましょうよ。」
オイラ「いえ、申し訳ないですけど、興味ないです。」
取引先「えー・・・。じゃぁ何で来たんですかー。」


 
お前が誘ったんじゃーーー!!!( ̄△ ̄#)


 
「新規の会合参加者連れて行かないとマズイからお願いします!」
「ノルマがあるんです!」
「入会してくれとは言わないんで!」

全部、アナタの言葉ですよね?

オイラはこの人には全く興味なかったのですが、取引先の会社には用があったのです。
だから我慢して付き合いましたが、堪忍袋の緒が切れました。
即効担当者を換えてもらいました。
オイラも一応、人間関係を大切にするので余程のことが無い限りこんなことはしないんですけどね。

とにかく、この映画を観てたらあの日のことを思い出してしまいました・・・。

さて、話を「イエスマン」に戻して。

全体的なノリがいかにもなアメリカン(マラソンしながら写真撮影とか)なので、日本人のオイラからすると文化的な違いで理解に苦しむ。

「そんな無謀なサークルがあるのか・・・。」とそちらに意識を取られてしまいます。
マラソンサークル・写真撮影サークル、それぞれなら理解できるけど、両方を併せるって・・・。
とか、
仮装パーティだか映画上演会だか分からんが「集い」のシーンとか。
「アメリカンやなぁ」と意識を取られてしまいます。
まぁ、それは映画的な悪口ではないのですけど。

あ、

悪口と言えば、キャラ設定に関する文句。
主人公のカールは否定的な生活を送っているとはいえ、それなりの生活を送っているようです。
それなりの、というか、むしろ裕福です。
仕事も出来るようですし、飲み明かせる親友もいます。上司からも気に入られているようです。

はたから見てて、


 
不幸せに見えないんです。

 
「NO!」といい続けることによって「普通の人よりも不幸」な状態でないと説得力が無いんです。
ギャップがないんです。
「良い状態」を「より良い状態に」する映画なら映画にする意味がありません。
「悪い状態」から「良い状態」になるから説得力があり、テーマが活きるのです。
でも「悪い状態」に見えないんだもんなぁ。。。
そもそも皆に好かれてるっぽいし。
カール自身が「変わらなきゃ」と悩んでいるならともかく、そうも見えなかったし。
この初めのキャラ設定で失敗しているのでメリハリがありません。
もう少しどん底からハッピーになる落差があれば点数を上げれたかもしれません。

まぁ3連休くらいあって、「その初日の夜に見る映画」、といったところでしょうか。


イエスマン
時間:104分
出演:ジム・キャリー、ズーイー・デシャネル
監督:ペイトン・リード

2009.08.18 Tuesday

ドラゴンボール EVOLUTION

神の採点:★★

この映画を見終わった後で一番最初に思ったことは「スクエア・エニックスってすげえなぁ」ということです。

どういう意味か、という説明は後に回すとして順にお話していきましょう。


まず、本作のタイトルは日本人なら聞いたことがない人はいないであろうと思われるほど超有名な作品です。
また、作者が「もう連載を終了させたい」と思っていたらしいほどストーリーの長い作品です。
この手の作品を映画化する際に方法として考えられるのは3つです。

〜粥部作として、少しずつ作り込んでいく。

▲好函璽蠅涼罎1番面白い箇所を切り取って作る。

4袷乾リジナルのストーリーを作る。

今回は△諒法を取り、「ピッコロ編」を作ったようでした。
ちなみにオイラ、ドラゴンボールはリアルに読んでいた世代ですが、熱狂的なファンというわけではありません。
なので「世界観が壊れるので実写化反対!」「ハリウッドが作るのは反対!」「とにかく反対!」などと言うつもりはありません。
面白ければ何でも賛成です。



面白ければ!



アニメや漫画を実写化すると



96%の確率で失敗



しますので、ファンの気持ちも分らないでも無いですけど・・・。
ましてや、とにかく近年「やっちまってしまう」ハリウッドが制作ですからね。
学習能力の低さと、技術力の退化に加え、今まで映画を引っ張ってきたっていうプライドがあるもんだから始末に悪い。
ハリウッド事情に詳しいわけではないが、有能な人材って流出しちゃってるんじゃないか?


と、いう前フリがあって今回の星2つ。
人気タイトルだけに気を使います。
「とにかく実写化反対!」という感情はオイラには無いです。
純粋に映画として見た時のオイラの評価なのですよ。
これだけは念を押しておきたいと思います。


いやー。



ヒドイ。Σ( ̄口 ̄;



こんなにヒドイ映画は



E.T.ぶりじゃないですかね?



オイラの知り合いのドラゴンボールファンが「この映画はドラゴンボールとして見るからイケないんだ!タイトルが同じだけの全く別作品として見ればいいんだ!」と言っていましたが、「別作品」として見ても、



ツマらんものはツマらん。(▼□▼メ)



っていうか、そこまでして映画を見るってことは、つまりこの映画を「ドラゴンボールとして意識」してるからでしょ?
悪いことは言わん。止めとけ。
それに、そもそもこの作品は映画じゃない。



ダイジェストだ。



本編はまだ公開していない。
そうに違いない。
ね?そうでしょ?

え、違うの?

オイラの見た90分の少々長いダイジェストは皆さんの見た「ドラゴンボール エボリューション」と同じなのでしょうか?
オイラはレンタルDVDで見たのでまだ許せるのですが、これに1,800円払った人は見終わった後、どうしたのでしょうか?
耐えたの?
泣き寝入り?
それとも「1,800円ぐらい屁のカッパ」と言えちゃう位リッチマンなの?

オイラこれで1,800円払ってたら関係者全員に



神の鉄槌下ろしてましたよ!



まず・・・・・まず何だろう。
何からツッ込めばいいんだろう。
ツッ込み所が多すぎて面倒です。

[ストーリー]
オイラが「この作品はダイジェストだ」という一番の原因です。
あまり拘りを語りすぎてしまっても



マジメか!(ノ°▽°)ノ



と言われてしまいますので程々にしますが、大衆娯楽作品は「起・承・転・結」がシッカリしていないとイカンです。
老若男女関係なく「面白い」と思わせるから大衆娯楽作品なのです。

もしね、この作品のストーリーがシッカリしていたらもう少しは認められていたと思いますよ。
ファンの間でも「これはこれで楽しい」という声もあがったはずです。
「実写は実写だ」と割り切って見たジェントルメンもこのストーリーじゃ怒りますよ。


お話がツマらない


これ以上致命的で、決定的なマイナスポイントはありません。

1.悟飯とピッコロの因縁関係が分らない。
 これ、かなり重要だよね?

2.ピッコロはどうやって魔封波の封印を解いたの?
 いきなり「復活しました」って言われても・・・。
 復活のシーンもないし。

3.ピッコロとマイの関係が分らない。
 っていうか、マイって名前出てきたっけ?

4.チチが困っていた時に悟空は普通に「気」をつかってロッカー開けたよね?
 気がうまく使えないって話だったよね?
 かめはめ派の特訓もあったわけだし。

5.「影鶴の拳」と「かめはめ派」の違いが分らない。
 似たような描写だし、技的にも似たような使いどころだし。

6.ヤムチャは何で誰も通らないような砂漠のど真ん中に落とし穴作ったの?
 しかも、その落とし穴に「たまたまドラゴンボールがありました」って・・・。

7.ピッコロが部下を製造する時に自らの血で産み出していたけど、痛い顔してた。
 痛いなら止めればいいのに。(笑)
 しかも、輸血してるようにしか見えない。(貧血か!?)
 しかも、弱すぎてアッサリやられる。
 しかも、画面暗くて姿形が良く分からない(ピッコロ・泣)

8.チチが悟空の行く先々に居る不思議。
 ストーカーか?

9.散々引っ張った「大猿ネタ」だが、大猿がちっちょい。
 「世界のどこかにはいるんじゃないか?」というレベル。
 とてもコイツが世界を滅ぼせるとは思えない。

10.ピッコロ、最初と最後の方で戦闘力に差がありすぎ。
 悟飯をリンチした時の技の数々はどうした。
 更に言うと、戦闘シーンに迫力ナシ。

11.テーマと思われたセリフ「第1のルール。ルールは無い。」の意味。



これが一番ビックリした。
上記のセリフは序盤、悟飯が孫の悟空に伝えるメッセージです。
自分という存在に悩む悟空に送ります。
当然、本作のテーマと思われます。
主題歌でもある浜崎あゆみの曲名も「Rule」です。


で、その後この言葉に関わるシーンは無し。



映画そのものにルールがありません。(T_T)



いいの?これ。
許されるの?
「あ、忘れてた」じゃ済まされないよ?


[特殊映像]
ここで冒頭の「スクエア・エニックスってすげえなぁ」に戻ります。

どうみてもゲームのムービーの方がクオリティが高いです。
炎とか、爆風とか、レーザーとか。
本作のCGは何か画面から浮いてるんですよね。
2時間スペシャル版「世にも奇妙な物語」のCGといい勝負です。

いや、ホント。

この手の映画でCGに凄さが無いと面白くもなんともないでしょ。
作り手に真剣さやプロ根性が感じられません。
単純な技術力不足なのかもしれませんが・・・。
これなら日本の某専門学生がCG作った方が情熱がある分、良いものが出来そうです。
本作の制作費は一体何に使ってるんだ?
領収書チェックした方がいいぞ、マジで。

ワイヤーアクションもいだだけないです。
新鮮さも無いし、センスも無い。
最後の悟空とピッコロの対決のワイヤーアクション見ました?
日曜朝にやってる戦隊レンジャーものレベルです。
あのシーンは本当に失笑した・・・。



悪ふざけも大概にせい!( ̄△ ̄#)



[BGM]
B級ホラーで使用されてるヘビメタみたいな曲がかかっていたような気がするが、あまり覚えていない。
浜崎あゆみの「Rule」も嫌いではなかったが、この作品のエンドロール時に曲がかかると何かのれない。
当初ドラゴンボールの主題歌を浜崎あゆみが歌うというのを知って「大丈夫か?」と思ったものだが(といって浜崎あゆみが嫌いなわけではない。)大丈夫どころか、完全に曲に助けられてた。


[衣装]
ドラゴンボールの拳法着、あれは何の冗談でしょうか?
ラストの方で悟空は意味無く着替えますが、その格好はどうみても


コスプレ野郎です。


この間、池袋のハンズにドラゴンボールの衣装が売ってましたけど、


クオリティほぼ一緒。


金かけてるハリウッドが作った衣装と大衆ユーザー向けのコスプレ衣装が同レベルって時点で終わってますがな。
拳法着に関するエピソードも無いし。
何で本作は90分なの?
それこそ120分くらい使えばいいのに・・・。


[ラスト]
なんか「つづく」みたいなフリがあったけど、流石にハリウッドも学習したでしょう。

もし、わかってないようなら分りやすく教えてあげます。



止めとけ。( ̄ヘ ̄)



最後に、クリエイティブな仕事に携わる人間の想像力・創造力が減退してきていると思います。
それは国内外問わず。

ゲームメーカーのバンダイはこんな駄目駄目映画を題材にしたゲームを作ったようです。
本当に面白いゲーム(作品)を作ろうと思ったらこんな作品題材にしません。
メディア的な何らかの断れない背景があったのかもですが、それにしても有り得ません。
映画もゲームも製作者は少しでも良いものを作ろうと努力したのでしょうか?

自分の担当の制作部分は絶対に最高のモノを作ると拘ったのでしょうか?

睡眠・自由時間・食事など削って作品作りに没頭したのでしょうか?

多数のスタッフが参加しているので、勿論1人くらいはいたのかもしれません。
しかし、映画は1人の力ではどうにもなりません。
数の理論です。
上記のような拘りがある人間が半数でもいればもう少しまともだったのではないかと思います。


自分もメディアに携わる一人として、肝に銘じたいと思います。


ドラゴンボール EVOLUTION
時間:86分
出演:ジャスティン・チャットウィン、エミー・ロッサム,
監督:ジェームズ・ウォン

2009.08.10 Monday

墨攻

神の採点:★★★★★


この「墨攻」には原作の小説版と、漫画版があるのだそうです。
オイラは見てません。

なので、純粋に映画版を見ただけの感想となります。
題材的には面白いので、時間制限・文字制限のない小説版ならきっと面白いのでしょう。
攻めて敵を滅ぼすわけでなく、限られた資源・人材の中で知略を尽くして守りぬく、というのは男として



ワクワクしますな。(≧∇≦)



攻めて勝って終わりというストーリーも嫌いじゃないですけど、些か食傷気味というか、飽きたというか・・・。
なので、題材的にはオイラはとても喰いつきました。



が、



原作読んでないので想像でしかないのだが原作読んでこの映画見た人、



イライラしなかった?



「違うんだ!この映画のテーマはそういう事じゃないんだ!」とか、

「原作の人物の良さが伝わってこない!」とか、

思いませんでした?


読んでないけど何となく分るんですよね。
「あ、これは違う」って。
まぁ制限された時間の中で何を伝え、何を魅せるかはとても難しいテーマなので、あまり責めるのも酷といえば酷かもしれませんが。


ただ制限云々ではなく「それはアカンやろ!」という点が1点だけあり、



この映画、失速感が凄い。( ̄□ ̄|||)



前半の30〜45分くらいでクライマックスを迎えるので、見ててテンションが右肩下がりなんである。

え?


え???



ええぇ??


です。


いや、駄目な意味でね。

線香花火みたいに最初バチバチッで勢いあるんだけど、段々元気がなくなって、核の部分がボトって落ちるんならまだ潔いんだけど、粘って落ちずに、明かりがシュ〜ンって消える、みたいな感じです。
(まどろっこしい例えで申し訳ない。)


前半、気になった点がありまして。
梁城の王子から主人公の革離君は「お前は本当に墨家の人間か?」と疑われるシーンがあります。
「本当の墨家なら我々が渡した証の玉を持っているはずだ」と。

で、革離君が答えます。

「忘れた」と。


・・・・・。


原作読んでないので、革離君が梁城まで来た経緯を知りません。
また、この段階ではオイラは革離君が本当に墨家の人間なのか知りません。
なので「おぉ!?」と思いました。
優秀な人材だが、実は革離君は墨家の人間では無い可能性もあると思ったのです。
梁城の人間を助けたい革離君が墨家の名を借りて助っ人に来た可能性もあるな、と思ったのです。
墨家には若い頃に何かの縁で思想だけは教えられた、みたいな。


うん。オイラ的には「有り」です。


でもね。
見終わってもそんな描写はありません。



どうやら革離君、



素で忘れてきたみたいです。(;´д` )



いや、わかりませんよ?
何度も言いますが原作読んでません。
なので、原作ではひょっとしたら何かあったのかもですが・・・・。
でも途中や最後まで「証の玉」を忘れてしまったエピソードが無いならそもそもカットした方がいんじゃね?と思うのです。

「原作読んで無いならブログに書かずに原作読んでから書けよ」という人もいるかもしれませんが、それはどうかなぁ?と思います。
オイラは墨攻という「映画」を見たのです。
原作があろうとなかろうと、「映画」は映画で完結させるべきです。
もしくは、映画で完結できるエピソードだけを盛り込むべきです。

「映画を是非見てください!でも説明不足な点がいくつかありますので原作読んでください」はイカンと思います。

これは何というか・・・脚本家の責任ですね。
この映画の試写会で、1時間くらいにまとめたハイライトを上映したそうだが、これなら相当面白いと思いますよ。


で、いろいろなブログで「墨攻」のレビューを見ましたが、総じて映画版オリジナルキャラの逸悦と革離のラブストーリーは余計だと思われているようです。
それに対しオイラは結構、肯定派だったりします。

うん。
作中に恋愛劇はあってもいいんじゃない?と思います。
革離が墨家に入門(?)したのはその考えに共鳴したからでしょう。
自分の生きる指針としたはずです。
しかし墨家の考え方は当然矛盾を含んでいます。
「守ることが攻撃することになっている」
実戦を経験し、無残な死を遂げていく敵兵を見て革離は常にこの矛盾と戦い続けねばならないのです。
助けを求められれば無条件に助ける。守る。
それが墨家の教えです。
その教えの中に革離という「個」が存在する為にはどうすればよいのか・・・・。
そこで「何を守るのか?」「何の為に守るのか?」というテーマが生まれると思うのです。
その入り口として恋愛劇はとても分りやすいので「有り」だと思うのです。


ただし!



ラストで逸悦を助けたら!



の話です。
ラストのラストで殺してしまうのはおかしい!
これでは革離君、なんだかんだいって



無能者です。( ̄ロ ̄;)



梁城は守れない(結果として助かりはしますが、革離が守ったわけではない)、愛する人も守れない、では説得力がありません。


これでは「非攻では守れない」という結論になってやしまいませんか?



助けなきゃ。

ラストは逸悦助けなきゃ!



まぁ、これも脚本家が悪いんじゃないかなぁと思います。


さて、最後に。
相当数のエキストラを使って軍勢を録るシーンというのは珍しくありませんが、本作のエキストラの”揃わなさ加減”は面白いです。

隊列を変えるシーンとかに1〜2人はタイミングずれてますから。

もちっと何とかならんかったんでしょうか?

表情も気ぃ抜けてるエキストラがいます。

「帰り一杯やってく?」
「いいね。」
「じゃ、着替えたらいつものとこで。」
「OK!」

こんな会話が聞こえてきそうです(笑)


コラコラ!Σ(▼□▼メ)


です。


墨攻
時間:133分
出演:アンディ・ラウ、アン・ソンギ
監督:ジェイコブ・チャン

2009.07.02 Thursday

ザ・マジックアワー

神の採点:★★★★★


もし、オイラが映画監督になり1本撮れることになったとして・・・

このジャンルだけは絶対に「やらない」というジャンルがあります。

それは、



コメディーです。



オイラ、映画で笑いは取れないと思っています。
いえ、厳密に言うと「緊張と緩和」による「笑えるシーン」は1本につき2〜3箇所作ることは出来るかもしれません。
でも短くて90分くらいの映画で2、3箇所しか笑える箇所の無い映画を「コメディー」とは言わんでしょ?
(まぁ、コメディー映画=笑いという考えはいささか極端すぎるかもしれないが)

でも、それ以上は絶対無理。
120分の映画でも4箇所も笑えるシーンなんか作れるわけありません。
映画というジャンルは「笑い」というものに対して不向きなのです。
これが演劇であれば120分で12〜15箇所は笑える芝居を作る自信がありますよ。
10分に1回笑えれば充分コメディーとして成功かな、と思います。

数多く映画は見てきましたが、コメディー映画で笑えたためしがありません。
ジャッキー映画の方がまだ笑えたような気がします。
理由は他人を説得できるだけの言葉をまだ持っていないのでここでは書けませんが、「間」というか、「空気」というか、「映像」というか、「編集」というか、「テンポ」というか、そういったものが笑いを生み出せない原因になっている気がするのです。
いつになるか分りませんが、明確な説明・説得できる言葉をみつけたら書きます。

で、

本作もやはりコメディーとしては「?」です。
でも笑えた箇所が2箇所ありました。
「コメディー映画」と銘打っている映画を見て笑える箇所が2箇所もあったんです。
それを評価しての星5つです。
ですので、正直、映画としての価値は星5つ分もありません。
「笑える箇所があった」という価値を省いて評価すると星3つが良いところではないでしょうか。
世間一般では結構評判が良かったようですね。
それはそれで一向に構わないのですが「それはキチンと自分で感じた評価か?」という疑わしさはあります。
「三谷幸喜の作品は面白い」というセルフマインドコントロールから下した評価ではなかったか。
各種宣伝に乗せられて「面白そうな作品」をそのまま「面白い作品」にしてしまってはいないか。
「三谷幸喜」というブランドが確立してしまっているので自分の気持ちに感じたままの感想かどうか疑問なのです。



さてさて、では何がいけなかったのか・・・・。



まずはシナリオですね。
脚本のクオリティの高さには定評のある三谷幸喜ですが、今回の作品は「えぇ!?」です。
忙しかったのか、情熱がなかったのか、急かされたのか事情は分りませんがヒドイ。
オイラはDVDで見たのでまだ許せるが、これ映画館で1,000円以上出した人怒るんじゃない?
コメディ路線の脚本なのでリアリティを追求する必要は無いが、



「動機」を追及する必要は絶対にある!



動機を疎かにすることが一番ストーリーをつまらなくさせる原因だからだ。



WHY(なぜ)?



が伝わらないストーリーほどつまらないものは無い。

で、本作である。
この物語は「マフィアのボスの女」と寝た男が、死にたくないので苦し紛れについた嘘から一人の売れない男優を殺し屋に仕立てあげる、というものである。
ここまでは皆理解できるよね?
そらそうだ。
オイラだって死にたくないから嘘つきますよ。
充分同意できます。
で、
マフィア側の「あえりえない解釈」や「偶然・誤解」により男優はマフィアのボスに自分が殺し屋であることを信じさせることが出来ます。

(ちょっと蛇足)
ここのシーンのリアリティの無さはオイラは別に”良い”と思っています。
ここで「マフィアのボスがこんな簡単に騙されるわけがない!」などと言うほどヤボではありません。
ここでそんな突っ込みはヤボというものです。
映画の「楽しみ方」を知らない証拠です。
そこまでリアリティを追求するならドキュメントだけ見なさい。
もしくは100%リアリティを必要としないTVのバラエティ番組を見ておきなさい。
↓読み辛くてスミマセン。以下本題に戻ります。

そう、信じさせることが出来るのです。
で、ボスから言われます。

ボス「ありがとう。もういいよ。」

さて皆さん。
上記のボスのセリフを聞いたアナタならどうしますか?

オイラなら、


町を出ます。(ノ°▽°)ノ



そりゃそうです。
死にたくないから嘘をついて一世一代の大芝居を打ったんですよ?
そしてボスに信じさせ「もういいよ」という言葉をもらったんです。
そりゃ逃げますって!
逃げなきゃおかしいですって!!!!



でも妻夫木君、逃げません。



WHY?


死にたくなかったんじゃないの?
「村田さん(佐藤)を放っておけない」的なことを言っていたような、いないような・・・・。
言ってたとしたら、



連れて来たのお前だろ!!(`m´#)



です。
言っていなかったとしたら・・・・・謎です。
もしかしたら「もういいよ」というのは妻夫木君と深津さんの仲を認めたということか?

いや、それはないだろ・・・。

だとしたら何故町に留まる、妻夫木よ!?
この町に留まる動機が見えないのでこの後のストーリーが面白くないのです。
ちょっと考えれば更に面白くなりそうな展開はいくらでもあります。

例えば、逃げる妻夫木君と深津さん。
しかし、敵対する組織に捕まる2人。
逃げる為に更なる嘘を付く。
そしてその嘘が元で2つの組織の抗争が激しくなる。
事情を全く知らない村田(佐藤)は2つの組織を平気な顔で行き来する、みたいな。

この方が妻夫木君と深津さんが町に居る必然が高いです。
嘘に嘘を重ねることによってドタバタにも拍車がかかります。
そういうストーリを組み立てるのは三谷幸喜の得意とするトコロだと思うんですけどね。
折角敵対する組織を登場させておきながらソッチは全然イジらず終わってしまうので残念です。



”脚本のクオリティの低さ”



これが本作の「駄目」な一番の理由です。
コメディと銘打ってるので狙っている訳ではないだろうが心に残りません。
完全に「消費する映画」です。


更に併せて配役に疑問があります。
オイラが「この役合わないんじゃない?」と思ったのは2人。
ギャングのボス役の「西田敏行」とその女役「深津絵里」です。

西田敏行は顔立ちが良い人っぽいので(いや、実際に良い人なのだろうが)ちょっとでもギャグ路線に走るとギャングのボスとしての威厳がなくなってしまう。
黙って相手を睨んでるだけなら迫力はあると思うんですけどね。
ラストの方、照明が当たってなんだかオカマちゃんのように駆け出しますが「まぁ、西田敏行ならそうだろうな」という目で見ちゃうんですよね。
恰幅が良くて、威厳が合って怖い人がこの役やるから面白味が出ると思うんだが、西田敏行がやるとイメージ付いちゃうんですよね。

深津絵里は女優の中では珍しく好きな役者さんなんですが、この役は合わない。
この人は絶対男を振り回す役は出来ないと思いますよ。
振り回される方が合ってる。


後は・・・この映画、



長い。( ̄△ ̄)



もちっと短くならんかね。
いらんシーンが何箇所かあるので、カットして110分くらいにしたらもう少しテンポがあって良かったんじゃないかと思います。
役者使いすぎじゃない?


最後に、
三谷幸喜の脚本をよくパクリとかやりすぎなオマージュと言う人がいます。
確かにいろんな作品の良いところを集めて脚本を書いていることもあるかもしれません。パクリと言うのかオマージュと言うのかは見た人個人の判断でしょうけど。
でも、それでもオイラは三谷幸喜という人物は才能があると思っています。
それは例えば料理です。
おいしい食材を美味しく調理できるか、その料理人の個性を出しているかがポイントです。
ラーメン、ドリア、焼そば、これらだって誰かが作り出したものです。
しかし、料理人の腕によって全然違う味、違う見た目になります。
レシピをまるまるパクッたら料理人失格でしょうけど。
脚本も同じネタでも書き方によって印象や面白いポイントが変わってきます。
そこをどう自分流にアレンジするか、脚本家の腕の見せ所なのではないでしょうか。
そういう部分では三谷幸喜は間違いなく才能があると思うのです。


そういうことも含めて考えると「著作権」というのは中々に難しい問題ですね。
死人が生き返る映画を撮ったら全部が全部「ゾンビのパクリじゃん!」てな話になるとつまらないでしょ?


ザ・マジックアワー
時間:136分
出演:佐藤浩市、妻夫木聡
監督:三谷幸喜

2009.06.20 Saturday

座頭市と用心棒

神の採点:★★★★

ども。演出です。

「最近劇団の更新ばかりだね」という方々からのツッコミを受けまして、映画の更新をすることにしました。
正直、別に映画を見ていなかったわけでなく、ブログに書くまでもない駄作ばかり見ていたので更新しなかったのです。

このブログを初めて読んだそこのアナタ。
「こいつどんだけ偉そうなんだ」と思ったでしょ?
良いのです。


演出は、



神なんですから。



さて、「座頭市と用心棒」です。

この映画はねぇ・・・・何ていうんでしょ。
一見さんには「普通」の映画です。
演技は勿論素晴らしいのですが、シナリオやカメラワーク、音楽などいたって普通の映画です。
でもね、
多分、勝新太郎の座頭市や三船敏郎の用心棒が好きな人には堪らない正に夢の映画なのでしょう。
後、時代劇ファンには。

双方の作品を見たことがあり、キャラクターや世界観を知っているからこそ、この夢の競演に酔いしれることが出来るのだと思います
勿論オイラはどっちも見たことがありません。
気にはなっていたのですがなかなかその機会がなく、レンタルショップで目ぼしいタイトルを探していたらたまたま見つけた作品です。
気になっていた役者を一度に見れるのですからこりゃいいや、と思ったのですがこういった作品を見るには「思い入れ」が必要なのですね。

勉強になりました。



そうだよなぁ・・・・。



「ゴジラ対ガメラ」があったって興味ない人から見れば




只の怪獣映画だもんな。


オイラ的にはコッチこそ夢の競演なんですけどね。
さてさて本題に戻りまして、気になっていた役者2人の演技力ですが、
そこはそれ、やっぱり



うまいね。(*≧∇≦)



特に勝新太郎はうまい。
これが座頭市の何作品目なのか知りませんが、役作りが徹底している。
勝新太郎ではなく、正しく座頭市なんである。
勝新太郎が他の役を演じた時にこれほど見事に演じられるのかは他の作品を見たことが無いので判断できないが、兎に角見事である。
そして面白いと思ったのは、殺陣のシーン。

オイラ今まで「座頭市は目が見えないけど剣の達人」という知識しかなかった。
そう、剣の達人という知識。(正確には居合い)
だから、襲い来る敵をバサッ!バサッ!と斬りつけるイメージがあった。
華麗に。


本編でも座頭市は確かに剣の達人である。


でもね、




コケる。Σ( ̄ロ ̄ll)



敵を切りながらコケるんです。
で、コケたまま泥臭く敵の足なんかを斬りつけるのです。
時には壁にぶつかったりします。



オイラ、目からウロコです。



そりゃそうだ。
見えないんだもん。
どんな剣の達人でも目が見えないのに華麗に敵を斬るなんて無理ですよね。
良い意味でイメージを裏切られました。
確かにコッチの泥臭い戦い方のほうがイイです。
応援したくなるというか、ハラハラドキドキ感が断然違います。
このシーンには「やられた!」と思いましたね。

もう一人の気になっていた役者、三船敏郎ですが・・・。
コチラはオイラ的には微妙でした。
よく「三船敏郎の存在感は凄い!」という話を聞いていたのでイメージを膨らませすぎたんでしょうね。
オイラのやりすぎな想像力の前ではそりゃどんな役者でも無理だって!



「凄い存在感」というイメージ・・・・。





ラオウか? ( ̄ロ ̄;)




無理無理!
現実世界にラオウなんかいたらヤバイでしょ!
すぐ捕まるって!

と、自分自身にツッコんでおりました。

2人の演技に関しては他の作品も見てみたいと思う演技でした。
と、まとめてしまう前に追加で1人。

若尾文子である。
本作品に関して言うと「う〜ん」である。
とはいえ、これは役が難しすぎる。
今回の彼女の役どころは、座頭市の心に暖かい気持ちを与えてあげられる聖母的な優しさを持つ女性と、用心棒から「誰とでも寝る女」と蔑まれる娼婦的な顔を同時に併せ持つ女性です。
こ〜れは厳しいだろ・・・・・誰が演れるんだこんな役。
少なくとも若尾文子が演じきれているとは思えませんでした。
どちらの顔も中途半端に見えるんですよね。
出演作を見てみると意外と娼婦側の役どころが多いようですが、どうだろ?
聖母的な優しさを持つ女性の役の方が合ってるような気がするんですけどね。



さて、
近年は国内において洋画よりも邦画の方が人気であるとニュースにもなりました。
この作品を見てオイラは何となく納得するものがありました。
それは、
最近の邦画は作り方が上手くなったと思うのです。
ストーリーの構成の仕方や、見せ方(魅せ方)が格段に上手くなっています。
言い方を変えると、説明の仕方が上手くなっているのです。

昔の作品は構成が雑でした。
丁度、現在のハリウッド映画のようです。
この「座頭市と用心棒」も構成の甘さから分りやすい単純な話も理解し辛いものになってしまっています。
理由は時代劇だからではありません。
構成の甘さによるものです。

北野武の座頭市も同じようにライバル的存在として、浅野忠信扮する用心棒がいます。
一概に比較することは出来ないかもしれませんがシナリオの大筋としては非常に似ている部分がある。
両作品のコンセプト自体も「超娯楽」だと思うのです。

で、

比べてみるとやはり北野武の座頭市の方が分りやすい。
オイラは構成力の差だと思っている。
(北野武はこの構成力を持ちながら「TAKESHIS'」「監督・ばんざい!」でそれを意識的に破綻させている。これは並みの監督には出来ない挑戦です。)


あ、でもですね、この作品、決して駄作ではございません。

勝新太郎と三船敏郎の競演だけで充分超が付く娯楽作だと思うのです。
普通ならシナリオも取って付けたような内容になりがちになりそうなものですが、そんなことはありません。
なかなかどうして飽きさせない展開でした。


どこのレンタルショップでも置いているわけではないと思いますが、もしお近くのお店で見つけたらご覧になってはいかがでしょうか。
その際はご覧になっていないなら北野武の座頭市も一緒に借りて見比べてみてください。


オイラの書いてあることに同意するか。


「いや、違うだろ。これはだな・・・・」と思うかはアナタ次第。


うむ。


座頭市と用心棒
時間:115分
出演:勝新太郎、三船敏郎
監督:岡本喜八

2009.05.11 Monday

WALL・E(ウォーリー)

神の採点:★★★★


ウォーリーを見ました。

このブログを読んでくれてる知り合いからよく言われるのは、「普通にメジャーな作品見るよね」です。

映画のレビューなんぞ書いていると、誤解があるようですが、


オイラ、別に映画マニアじゃありません。


ただの映画好き野郎です。

自分の興味ある作品を見てるだけです。
監督名や役者名も詳しいわけではありません。
ましてや、知る人ぞ知る名作なんて知りません。

あ、いや、オイラの中でマニアックではないと思っているだけで、人によっては「充分マニアックだ!」と言うかもしれませんが。


それを考えるとウォーリーは正しくメジャー作品です。
なんてったって、ディズニーですから。

さて、映画の見方にもいろいろありまして、サスペンスの見方、ヒューマンドラマの見方、ホラーの見方、とジャンルにより様々です。
ただ楽しんで見れば良いというのも正解でしょうが、心の持ちよう(見方)を変えることによってより楽しむことが可能になるわけです。
で、
ジャンルとはまた違うのですが、「ディズニー映画」はディズニー映画の見方というものがあると思っています。


ジャッキー映画の見方がそうであるように、



あまり深くツッ込まない。



というのが正しい見方だとオイラは思っています。
そりゃそうです。
リアルからトリップさせるのがディズニーなのです。
夢を与えるのがディズニーなのですから、ツッ込みはご法度といっても良いでしょう。

ただ、それを差し引いてもちょっと面白味に欠けたかな。というのが第一印象である。
いや、確かに面白い。
ウォーリーのキャラも可愛くて好感が持てる。
でも如何せん後半がダレルのよね・・・。
その理由は明確に「セリフが少ないから」なんだけど、「セリフが少ない映画」は今回のディズニーにとっては云わば「挑戦」なのだろうから、評価してあげたい所でもあるので、「う〜ん。」となってしまうのである。

あ、ゴメン。

ツッ込みはご法度とか言っておきながら



行き成りツッ込むけど、



ウォーリーとイブはなぜあんなに片言なの?
現在の文明からしてもかなりの技術力がある時代に作られたウォーリーなのに、片言。
更に文明が進んだロボットのイブも同じように片言。

自己紹介の時、お互いの名を呼び合う。

「イ・・・・ブ、イ・・・ブ、イ〜ブ!」
「ウォー・・・リー・・・。」
「イ〜ブ!」
「ウォーリ〜!」



お前等覚えたてか!?( ̄〜 ̄;)



自己充電機能や飛行能力など最新鋭の技術を使用されているロボットが会話になると




あほあほロボ



になってしまいます。

何で!?と思いますがそうなのですから仕方がないですね。
まぁ、「挑戦」なのでしょう。


その他、


1.ウォーリーは自分の故障箇所を認識して直せるなら何で仲間を直さないの?

2.イブは何で武装してるの?単純に破壊者に見えるんですけど。

3.冷蔵庫に入っていた苗が緑色しているのは何で?

4.骨の少なくなった人類がたいして運動してないのに地球に降りてこられたのは何で?


などなどッ込み所は満載です。

でも、



それはしちゃ駄目。



ウォーリーのキャラは確かにかわいい。


それってグッズを売るため?




とか邪推も駄目。


あと気になるのは製作者側の拘りというか、愛着度ですかね。
メインキャラ以外は結構おざなりな扱いでした。
その為ドラマ性がなく、ストーリーに厚みがないのです。
特に最初の場面で、ウォーリーが地球上にひとりぼっち(ゴキブリは居るけど)という寂しさみたいなものが感じられないのがネックでしたね。
残念な作品です。


WALL・E(ウォーリー)
時間:98分

2009.03.24 Tuesday

西の魔女が死んだ

神の採点:★★★


原作読んでません。
なので、まだ救われたのかもしれません。
話自体はきっと良いものなのでしょう。

最近、洋画よりも邦画の方が(いや、ギャグじゃなく)面白いなぁと感じていただけに、


ぐはぁ!


と思いました。

この作品が駄作になってしまった原因はたった一人にあります。



たった一人、



それは、



監督です。



「長崎俊一」という監督の作品は今回初めて見ましたが、他の作品を見る気にならん。
この作品ほど監督の責任で駄目になっている映画も珍しいのではないでしょうか。
「独創性」が無い上に「見せ方(魅せ方)」にセンスが無い。

一番簡単で分かりやすい例を挙げるとすると、
開始から20分くらいのシーンです。
まいが一人で山を散歩し広い丘に出ると、ワイルドストロベリーの畑(?)に出ます。
流れ的には、
まず、まいがアップで「わぁ。すごい」と感想を述べます。
次にカメラが少し引いて上方よりまいの身体を映し、同時に地面を映します。
この時点で少しだけワイルドストロベリーが見えます。
そしてカメラだけ少しずつ引いていき、畑全体を映していきます。

普通、この流れだったら畑の面積って広いと思いません?
まいが「わぁ。すごい」って感想言ってるわけだし。

でも畑の面積は畳8畳分くらいです。



狭っ!( ̄Д ̄;)



です。

ここは観てる観客も「わぁ!」って思うくらいの広さを用意しなきゃいけないんじゃないか?
この映画は全体的にこういう肩透かしを喰らい続けます。
そして、肩透かしの原因は監督のセンスの無さに尽きるのです。

サンクチュアリも、もう少し木漏れ日を綺麗に撮ることが出来るだろうに・・・・。


で、

オイラは原作を読んでいないので、あくまで映画バージョンの「西の魔女が死んだ」しかストーリーを語れないのだが、



原作もこんな感じ?L(・o・)」



まいのお母さんはなぜ、あんなに無神経なの?
自分の子供が登校拒否してるのにおばあちゃんの家に預けるって・・・・。
子供が嫌いなの?
ラストの方で、「それでも仕事はやめない」的なことをいっていたけど、どれだけ自己中なんだ・・・。
ただでさえ人間関係で悩んでいる娘だぞ?
まして引越しして全然知らない人達ばかりの学校へ行くのに、親が傍にいてやらないでどうする!?

お父さんの存在理由って何?
親なんだから強引にまいを連れてけよ。
一緒に住もうって言ってやれよ。
「選ぶのはまいだ」って・・・・・中一の娘にイランだろそんな選択権。
理解ある父親の振りして全然わかっていない。
何か事件が起きた時にこの父親は絶対に責任を取らないで逃げるだろうなぁ、って感じだ。

まいが人間関係に悩むのは、親から学べるものが何も無いからだと思う。

で、
それが原作のストーリーなのか、映画の脚本の粗なのか分からないのである。



・・・粗のような気がするんだけどね。



近所のオヤジも扱い雑だし、郵便局員もテンション間違えてるし・・・。
(これも監督責任です。)
おばあちゃんとのあの別れ方でどうして成長できたのかも分からんし・・・。
(仲直りもせず結局ケンカ別れだろ?)



この映画は、パンフやパッケージに載っている写真で完結させた方が良いと思う。
おばあちゃんが孫の頬に手を当てている写真。
もうこれでおしまいです。
本編を見るより、この1枚の写真の方がよっぽど説得力がある。


ただ、
本編中にまいの想像で禅を行うシーンがあるのだが、前回の芝居(月は今日も僕を見ている)でも同じようなシーンをやったので、ちょっと笑った。



西の魔女が死んだ
時間:115分
監督:長崎俊一
出演:サチ・パーカー、高橋真悠

2009.02.07 Saturday

ハンコック

神の採点:★★★


観終わって最初の感想が、



「ん?何だこれ?」(ー.ー")


である。

本当に「何だこれ?」なんである。
この映画の脚本は2人で書いたのか?
しかも、前半と後半に役割分担して。
そうでないとしたら、なぜ、この脚本で映画を作ろうと思ったのだろう?

分からん。

前半は良いと思いますよ。
映画の宣伝でも言ってましたが、
「駄目ヒーローが英雄になるまでの物語」通りの内容でしたから。

嫌われ者のハンコック。
人助けをしてもやり過ぎてしまうハンコック。
誰からも認められないハンコック。

うん。

正しく「こーゆー出だしだと思ってました」的な安心して見ていられるストーリーです。
やさぐれているヒーローが徐々に心を開いていく。
こうなると、考えられるパターンは2つです。

/瓦魍いていく段階がいくつかあり、最後の最後で自分の存在を肯定し、誰もが認める英雄となるパターン。

一度は心を開き英雄となるが、助けようと思った人(大抵は子供か?)を不可抗力で傷つけてしまい悩むが、試練を乗り越え、最後に再び英雄となるパターン。


ね?

このどちらかだと思うでしょ?



普通はね。┐( ̄ー ̄)┌ 



いやー、ハンコック。

一筋縄ではいきません。
はい。
確かに中盤、悪者を倒し、英雄として扱われます。
本当に中盤くらいです。

そして、それが終わったらヒーローとかそんなの全然関係なくなります。



はぁ?(_´Д`)


これ、ヒーローものの話でしょ?

それを、



元カノとの痴話喧嘩で再び町、破壊!



ビル、


車、


道路、


壊し放題です。



コラッ!おっさん、何しとんねん!!(`m´#)


中盤以降ラストまでの内容で、ハンコックが成長した意味は



一切ありません。


あのね、こんな余計な「ドンデン返し」いらないの。
もっと普通にヒーローものを楽しみたいの。
起承転結は流れがあるから成立するんであって、起・承と転・結のネタが全然違ったら前半は何だったの?って話になるでしょ。

最近のハリウッド映画は本当にこの辺が雑です。
日本において洋画の興行収入が邦画の興行収入を下回った理由が分かりますよね。
どんなに金を使っても、良い役者を使っても、


つまらんモノはつまらん!


なわけです。

何よりこの映画が一番つまらない理由、分かります?

それは、



強い悪者がいない



ということです。

超人的な力を持つのはハンコックともう一人だけです。
そのもう一人も味方っちゃ味方だし・・・。
(一番ハンコックにダメージ与えたのこの人かもだけど)

ヒーローは対等の力を持つ悪者がいてこそヒーロー足り得るのです。
思わせぶりな3人が出てきますが、思いっきり普通の人だし。。。。


ニューヒーローの映画を作り出したかったら作り直すことをオススメします。
音楽も全然イケてないし。


ハリウッド!しっかりせい!!!


一番気になったのは終盤に差し掛かる辺りに出てきた


超ご都合主義の設定


ですかね。

「ハンコックともう一人の超人は近くにいればいるほど普通の人になってしまう」

という設定がいきなり出てきます。
前にも書きましたが、散々取っ組みあって、車を壊し、ビルを破壊し、道路を抉ります。
その距離ゼロセンチです。
取っ組み合いですからね。
超近距離です。

その取っ組み合いが終わって、数キロ離れた瞬間、その設定は突然、発動します。
ハンコックはいきなり普通の人と同等になって撃たれてしまいます。


あのな、



ええ加減にせいよ!?( ̄△ ̄#)


ギャクか?ギャグなのか!?
笑わせようとしてるのか!?


もう一度言う、



ハリウッド!しっかりせい!!!


ハンコック
時間:102分
監督:ピーター・バーグ
出演:ウィル・スミス、シャーリーズ・セロン

2009.01.26 Monday

アメリカを売った男

神の採点:★★★★★


映画に点数を付けるという手法はこれまで何度か行ってきました。
見たままの感想でポンッと簡単に付けれてしまいます。
「星5つかな?」「これは・・・星2つじゃあ!」
「むむ!星7つぜよ!」「こんなもん星はやれん!」
などなど、いろんな感想を持ちつつ、簡単に付けれてしまいます。
良かろうと、悪かろうと。

でも、

今回の「アメリカを売った男」はちょっと悩みました。

いえ、正確に言うと、一度付けたのですが「本当にそれでいいのか?」と思い直してしまったんです。
これは意外と、意外なことです。

最初に付けた星は5つです。
(まぁ、結局最終的にそのまま5つになってるんですけどね。)
で、星5つを付けた後で、「本当にそれでいいのか?」と思ったのです。

”う〜ん。星5つくらいは面白かったんだがなぁ・・・。なんだろ?少しあげすぎか?”
”また見たいというほどでもないんだよなぁ・・・。”
”でも、初めて見る分には間違いなく面白い映画だよなぁ・・・。”

と、自問自答してました。
今もってモヤモヤしてます。
果たして”オイラ評価”の星5つをあげる価値があるのかどうか。

このブログは団員も読んでいます。
また、これから団員になるかもしれない人も読んでいます。

映画に対する評価が適正でない場合、オイラの演出としての適正が問われます。
もちろん、芸術作品というのは絵画、音楽、映画、お笑い問わず、その人個人の尺度が大きいウエイトを占めますので、
オイラがどうこういったところで他人にとっては良い映画、悪い映画があることでしょう。
でも、自分とは違う尺度の切り口で話してあっても、適性さえあれば『説得力』はあるものです。
それは、着眼点がシッカリしているからこその『説得力』であり、
本質を捉えているからこその『説得力』です。

そして、本質を捉える能力こそ演出に必要な能力だと、オイラは思っています。

劇団十夢の団員は皆オイラのことを尊敬してくれてはいますが、
尊敬しているからといって、オイラの言葉すべてが正しいという盲目的な信者ではないのです。

「えー?そうかなぁ?」

などと常にオイラの言葉に疑問を持つ厄介な連中ばかりです。
その疑問にオイラなりの解釈をオイラなりの言葉で説明していきます。
こじつけの様な説明の時もありますが、それでも相手が納得するまで説明し続けます。
それが、今現在オイラの地位を築いている基礎なのです。
そして、その地位があるからこそ、オイラは十夢において”価値のある存在”なのです。


さて、『アメリカを売った男』です。
上記の内容は脱線しているようで、本作品の根幹を成す説明です。

なぜ男は祖国を売ったのか?

本作品ではキーワードとして”価値のある存在”という言葉を使ってます。
動機に関しては果たして正直に話をしているのか、どうか・・・。
でも、オイラは正直に話しているんじゃないかと思います。
「いろいろな可能性があるが、どれだと思う?こんな可能性もあれば、こんな可能性もある。もしかしたらこの可能性かもしれない」
などと話して、その例えの中に真実を入れている。

丁度、新人の補佐官が来た時に「自己紹介をしろ。その中にひとつだけ嘘を交えて」と指示した時のように。
裏切りの動機の例えを話しながら、その中に真実の動機を紛れ込ませたのではないか?


エリートほど「他人に認めてもらいたい」という欲求が強いのでしょうな。
エリートと天才は全然違います。
天才は他人のことなんか気にしませんからね。


しかし、この作品。リアルを追求してるようでリアルじゃない。
所々にうそ臭さがチラついていて鼻に付く。
星が半分なのもそのせいだろうなぁ・・・。

面白いのは、スパイ映画というと大抵1人のスパイが敵のアジトなどに潜入し、
大勢を騙さなければならないのがハラハラドキドキの緊張感を生みますよね?
でも、
この作品は全く逆です。
大勢のFBIがたった1人を騙します。


やってることは



大掛かりなドッキリテレビです。



シャレにならないのはその仕掛けの為に人の命が奪われたという事です。
実話を元にした話というのはやはり精神的にクルものがあります。

ハンセン役のクリス・クーパー。
良い仕事してまっせ。



アメリカを売った男
時間:111分
出演:クリス・クーパー、ライアン・フィリップ
監督:ビリー・レイ

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